一字秘密咒 生々而加護

 仏さまといえば、温和で柔和なお顔をイメージされることでしょう。しかし、なかには、鬼のように怖い顔をしてぎょろりとにらんでおられる方もおられます。なにをそんなに怒っているのだろうと、疑問を感じられるかもしれません。
 仏さまの横で怖い顔でにらんでおられる方は明王と呼ばれています。もともと古代インドの悪鬼、悪神であり人々に災いをもたらす存在として恐れられていましたが、改心して仏に帰依をすることになり、仏法をお守りする守護神となったといわれています。密教では大日如来の化身ともされ、仏の教えに耳を傾けることなく、我欲にまかせて悪行を重ねる強欲な人々を怒りをもって導き、救う役目をお持ちになっておられます。怖い顔をしておられますが、人々を護り、導く仏さまなのです。 
 明王といえば、不動明王、降三世明王、愛染明王、孔雀明王などが有名ですが、たぶん、私たちにとって一番なじみが深いお方は不動明王でしょう。不動明王は真言宗のお仏壇では、必ず向かって左側に不動明王がお祀りされています。十輪寺の本堂にも本堂の左側に祀られており、一年に一度、本堂正面の大壇にお移ししてお祀りし、その前に護摩壇を組み不動護摩を焚せていただいています。
 不動明王は、背に炎を纏っておられ(火焔光背)、また、右手に剣、左手に羂索(けんさく)を持っておられます。炎は、仏の知恵を現し、人々の煩悩、苦悩を燃やし尽くし、剣で迷いを断ち切り、羂索で仏の世界に引き入れるといわれています。
 不動明王のご誓願は、「一字秘密咒(いちじひみつじゅ)生々而加護(しょうしょうにかご)」です。これは、一度でも不動明王を拝めば、その人を未来永劫に渡り守るというご誓願なのです。つまり、生きている間はもちろん、その方が生まれ変わったとしても、不動さまは見捨てずお守りするというお誓いなのです。
 昔、ある僧侶が険しい山道を下っていると、前方より牛が大きな荷を背負い苦しそうにのぼってきたのです。牛はいまにも倒れそうになりながらもなんとか坂道を歩んでいきます。しかし荷を一刻も早く届けたいのでしょうか、牛飼いは情け容赦なく激しく鞭を打ち牛を前に、前に進めようとします。鞭が打たれるたびに牛は苦しそうな声を出すのです。その時、僧侶は不思議な光景を目にします。二人の小さな子どもが牛を一生懸命に押しているのでした。そして、どうやらその姿を牛飼いは見えていない様子です。
 僧侶は子どもたちに近寄り、何をしているのかと問いかけると、「この牛は前世では人間だったのですが、今生は牛に生まれ変わってしまったのです。しかし、前世で一度だけ不動明王のご真言をお唱えしたことがあり、その縁により不動明王は私たちに牛を助けるようにと命じられたのです」と答えたのです。この子どもたちは、不動明王の眷属(けんぞく)だったのです。
 眷属とは神仏に従う者であり、神仏に成り代わりお働きになられます。不動明王には八人の童子が眷属としてお仕えになっていますが、その中で制多迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)は常に不動明王の左右に従っておられます。不動明王はこの度、ご縁のある牛を助けるように制多迦童子と矜羯羅童子に命じられたとのことだったのです。このようにたった一度、ご真言をお唱えしただけでも不動明王は、決してその者を忘れるなくお助けになるのです。

ノウマクサマンダバザラダンセンダンマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン
 あまねく一切の金剛、大忿怒の相を現して堅固の徳を備える不動明王に帰依し奉る

 不動明王のご真言は、慈救咒(じゅくしゅ)とも呼ばれます。十輪寺では、毎年、2月の地蔵講にて不動護摩をお焚き上げし、参詣者とともに不動明王のご真言を唱えさせていただきます。

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