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食事作法
最近、米食の割合が減っていると聞きますが、やはり日本人の食卓には米をかかすことができません。毎日パンでかまわないといっている人でも、パン食がしばらく続くと米が食べたくてたまらなくなるものでしょう。
米を育てるのは大層手間ひまがかかものです。秋の収穫までに水の調整、肥料やり、草取り、消毒などなど、お百姓さんは休む暇もありません。米という字は、八十八人の手間がかかっていることを表しているといわれますが、まさに米一粒は手間ひまの結晶だといえるでしょう。しかし、現在ではスーパーに行けばブランド米でさえ簡単に手にはいるし、きれいなパッケージからは米を生産する人々の苦労というもの感じることが難しくなっているように思えます。
米を育てるのは人だけではありません。適度な降雨、日照、気温が必要となります。自然の恵みがなければいかに人が手間ひまをかけようとも米は育たないのです。日々当たり前のように食するお米ですが、一粒一粒には多くの人々の労苦、天地の恵みがこめられていることを忘れてはなりません。
私が園長をしているちべん保育園では、給食いただく前に、「食事作法」をすることになっています。年長組お当番さんがみんなの前で手をあわせて次のようにいいます。
一滴の水にも天地の恵(めぐみ)がこもっています。
一粒の米にも万人(ばんにん)の力が加わっております。
感謝の心でいただきましょう。
お当番さんに続いて他の子どもたちはみんなで繰り返して言います。そして最後に全員で、いただきます、と言って給食が始まります。
「食事作法」の内容は小さな子どもたちにとっては少し難しいかもしれません。もちろんお百姓さんの苦労やお米ができるまでのこと、お水の大切さを説明はするのですが、子どもたちがどこまで理解をしているのかは分かりません。ただ意味も分からず言葉を繰り返していいるだけなのかもしれません。
ある日のこと、子どもたちといっしょに給食を食べて、トレイの食器を返しに行くために席を立とうとしたところ、同じテーブルの子どもが、「園長先生のお茶碗にお米が残っているよ。一粒の米も大事だよ」と言ったのです。よく見るとその子どもが指摘したように、不覚にもお茶碗にお米が一粒残っていたのでした。「ありがとう。よく教えてくれたね」と言ってその一粒を口に入れ食器を返しに行きました。少し恥ずかしかったのですが、食事作法を理解してくれていたのだととてもうれしい気持ちになりました。(もう少し小さな声で教えてくれればもっとうれしかったのですが・・・・。)
飽食の時代、日本では毎日たくさんの食べものが捨てられるフードロスが問題になっています。日々、我々は多くの物に恵まれ生活をしているのですが、感謝を忘れ、物を粗末にしたり、多くの物に恵まれながら不足をいうことが多いものです。しかし、どんなに豊かになろうとも、感謝を忘れてはいけません。なぜならば、感謝を失い不足を言い、物を粗末にしていると必ずせっかくの繁栄をだいなしにしてしまうからなのです。
今年も梅雨の季節をむかえようとしています。しばらくじめじめとした日が続くことでしょう。この時期になると田んぼへ水がひかれ、いよいよ田植えのシーズン。お百姓さんたちの米作りがはじまります。田植えの時期、お子さんやお孫さんといっしょに日々感謝の心思い起こし過ごしていただきたいものです。
(平成15年6月十輪寺通信より加筆)