心中にして即ち近し


それ仏法遥か(はるか)に非ず。心中にして即ち(すなわち)近し。

 これは真言宗をお開きになられた弘法大師、お大師さまのお言葉です。お大師さまは、若き頃より学問の道に入り、研鑽を積まれ、当時、限られた者しか入学が許されなかった大学にもお入りになられました。将来を嘱望されたエリートだったのです。ところが、自ら求めていたものは大学での学問で得ることはできず、大学での学問を打ち切り、山野での修行にお入りになられました。お大師さまにとってこの時期は真実を求めての迷いの期間であったといえるのかもしれません。
 その後、遣唐使の一員となり唐に渡り、そこで恵果和尚(けいかわじょう)と運命的な出会いをなされ、真言密教を伝授されることになります。お大師さまは、ようやく求めていたものに出会うことができたのです。しかし、長い時間をかけ、はるか唐の国にまで渡って求めているものを得ることができたお大師さまでしたが、お大師さまが出された結論は、「心中にして近し」だったのです。つまり、自分の求めていたものは、遠く離れた所にあるのだと思っていたけれど、それはすでに心の中にあったということなのです。灯台もと暗し、あまりに近くにありすぎてわからなかったものを恵果和尚は明らかにされたのです。
 新年度を迎えると保育園はとてもにぎやかになります。新入園児にとって新しい生活に希望を抱く時であると同時に、お家の人と離れての不安な日々の始まりでもあります。4月の朝、お母さんと離れることができず泣いている子がたくさんいます。しかし、子どもたちはいつまでも泣いてはいません。一か月も過ぎると、おはよ~と元気にいっぱいに登園するようになってきます。もちろん個人差はありますが・・・。
 なぜ泣かなくなるのでしょう。保育園の生活に慣れたから、友だちがでたから・・・子ども一人一人それぞれ色んな理由があることでしょう。その内の一つに、お家の人は必ず迎えに来てくれるということがあります。わが子を保育園に迎えに行くというのは親御さんにとっては当たり前のことかもしれませんが、子どもたちはお父さん、お母さんのお迎えを今か今かと待ちわびているのです。どんなに素晴らし保育をしても、子どもたちがお迎えにきたお父さん、お母さんに見せる笑顔を引き出すことはなかなかできないものです。
 お迎えが毎日続くことにより子どもたちには確信ができてきます。それは、決してお父さん、お母さんは、私を見捨てることはない。どんな時でもいつも私を護ってくれている。いつも私を大事にしてくれる。毎日のお迎えを通してできあがるその確信が不安を取り去り、安心して保育園での生活できるようなるのだと思います。このようないつでも自分は護られ、大切にされているとの確信を持つことを「基本的信頼感の確立」といいます。
 今では小さなころから”おけいこごと”をする早期教育が当たり前のように行われるようになってきました。年長組さんぐらいになると、英会話、スイミング、読み書き教室と日々スケジュールに追われる子もいてます。親御さんたちもどこの教室のレッスンがよいなど情報収集に余念がありません。少子化にもかかわらず幼児教育のマーケットの規模は年々拡大しているのです。
 早期教育は子どもの才能を伸ばすのに必要なことでしょう。しかし、3歳ぐらいまでの子どもたちにとって一番大事で必要なことは、基本的信頼感を持つことなのです。この基本信頼感があると、思春期に悩んだときでも乗り切ることができ、自信を持って人生を歩める力を育むことができるといわれています。
 子どものすこやかな成長を願わない親御さんはいないでしょう。だからこそ、子育てをどうすればよいのか迷うのです。それはちょうどお大師さまが真実を求め、山野をさまよわれた姿と共通するものがあるように思えます。お大師さまが求めていたものは、離れたところにあるのではなく、近くにあったように子育ても同じく、私たちの身近なところに答えがあるのかもしれません。
 あたり前のようにしている毎日のお迎えですが、子どもの成長にとってとても大変大切なことでもあるのです。今日も一日よくがんばったねとしっかり抱きしめてやってほしいものです。親も子も求めているものは「心中にして即ち近し」、決して特別の行いによって得られるものではないのかもしれません。

令和3年4月 
 

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