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心の深淵
国立天文台の大型望遠鏡「すばる」がハワイで完成したとのニュースが新聞に掲載(平成11年掲載)されていました。この望遠鏡は近赤外線カメラを使い、地球から百億光年も離れた銀河を観測できる能力を持つ高性能望遠鏡なのだそうです。一光年は、わずか一秒間に地球を七周以上も回ることが可能な光が一年間かかってようやく進む距離であり、百億光年といえばその百億倍という気の遠くなるような距離となります。人間は自分より離れたところにある未知なるものを解明したいという本能を持っているようで、距離が遠ければ遠いほどその気持ちは強くなるものなのでしょう。宇宙観測などはその典型的なものだと思えます。地球上で人類は長年にわたり探査を重ね、今や未知なる場所は残り少なくなってきました。しかし、宇宙に目を向けるとそこには、あまりにも広大で、なにもかもが遠く離れているが故に、人類にとって未知なる世界がまだまだ広がっているのです。
宇宙観測に限らず、一般的に遠く離れれば離れるほど、物事がなかなか解明されにくいというのは事実でしょう。しかし、近くにあれば全てわかるかというとそうでもありません。例えば人間の心はどうでしょうか。昨今、教育現場では学級崩壊が問題となっていますが、毎日同じ教室で顔を合わしている先生と生徒も残念ながらお互いの心がつかめていないようです。そりゃ先生と生徒は家族じゃないのだから、とおっしゃるかもしれません。しかし、一つ屋根の下にすむ家族だって、実は怪しいものなのです。自分の生活空間の最も近くにいるはずの夫、妻そして、子供。近くにいるのだから本当は理解しやすいはずなのに、お互いの心を理解しているかといえば、そうでもないことがあります。
阪神淡路大震災の際、普段家族と普通に暮らしている夫がいざ食べ物が手に入らないという状況になった時、わずかに残った食べ物を独り占めにし、子供にさえも分け与えようとせず、さっさと自分で食べてしまったのだそうです。その姿を見て奥さんは、こんな人と今まで暮らしていたのか、とあきれ果ててしまった、というお話を聞きました。家族といってもお互い一個の独立した人間である以上、本当の心はなかなか理解できないものなのかもしれません。
それでは、家族より更に近いところにある自分自身の心はどうなのでしょう。自分のことだから自分が一番知っているはずですが、実はこれも結構怪しいものです。ただひたすら人のためを思いながら行動しているはずなのに、心の奥底では打算が働いていた。感謝でいっぱいの心であるはずなのに、心の隅には不満がくすぶっている。ふとしたことで心の中の奥底に隠されていた、自分も知らない本心と直面し、困惑することもあるものです。
信仰の世界においては、私たちの心のあり方が特に大事だと智辯尊女様はお説きになられます。いかにすばらしい行いをしようとも、何時間もお祈りの行をしようと、その人の心が神様の心からはずれてしまっている状態、つまり「悪因」のある状態ならば、せっかくの行いも無駄になるのだそうです。
天体望遠鏡「すばる」のごとく心の中を見渡せるものがあるとするならば、私たちの心の深淵には何が見いだせるのでしょうか。
平成11年 10月 妙音新聞掲載文より
令和3年4月