感謝する心が持つ力


 ウィンタースポーツの季節です。中でも花形はフィギュアスケートでしょう。氷の上を舞う華麗な姿は見る者を魅了します。日本のフィギュアスケートでは、なんといっても羽生結弦選手が人気実力ともナンバーワンでしょう。オリンピック金メダル、世界最高得点など輝かしい経歴が光を放ちます。羽生選手が世界の注目を集めたのは、2006年に開催されたソチオリンピックです。この大会で羽生選手はフィギュアスケート男子シングルの種目において、アジア人初となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得しました。その金メダルを決めた演技にて、羽生選手はイナバウアという技を見せました。このイナバウアは男子選手はほとんど演技に取り入れることのない技で、しかも得点にならない技なので、演技を見ていた人たちは、なぜイナバウアをあえて演技にいれたのだろうかと不思議に思ったそうです。
 羽生選手は仙台市生まれ、小さい時から地元のスケートリンクで練習をしていました。ところがそのスケートリンクが経営難となり、突如閉鎖され練習場所を失うという苦境に陥りました。スケートリンクが閉鎖になったのはちょうどトリノオリンピックが開催されている時でした。  トリノでは日本勢の成績が振るわなかったのですが、ただ一人金メダルを取った選手がいました。それは荒川静香選手です。荒川静香といえばイナバウアと言われるぐらいイナバウアは、荒川選手の得意技なのです。金メダルをきめた演技でも見事なイナバウアを披露し、会場から万雷の拍手を浴びました。  
 荒川選手は、仙台市のスケートリンクが閉鎖となり、才能有る子どもたちが苦境に陥っていることを知り、金メダルを受け取った直後のインタビューで仙台市のスケートリンクの窮状を語り支援を訴えたのです。金メダリストの呼びかけは大きな反響を生み、宮城県と仙台市が動き総額一億円もの支援がなされることになり、翌年スケートリンクは再開され、羽生選手は再び練習に打ち込むことができるようになりました。トリノオリンピックの八年後、羽生選手が金メダルを決めた演技でイナバウアを見せたのは、荒川静香選手への心から感謝の表れだったのです。あなたのおかげで私は成長することができた。今あるのはあなたのおかげ・・・。多分そのような気持ちがあのイナバウアにこめられていたのでしょう。
 人が人を思う気持ちが人を育てる。育てられて人がその気持ちに応えて感謝をする時に人はまた更に大きく成長するのではないでしょうか。羽生選手がたぐいまれなる才能の持ち主であることは間違いありませんが、持って生まれた才能を更に高めたのは、感謝の気持ちではないかと思います。荒川選手の思いはちょうど親が子のことを思う気持ちと似ているように思います。我が子ためにできるだけのことはしてやりたい。困っているならばなんとかしてやりたい。親は子にそのような気持ちをこめて子どもを育てていきます。ともすれば成長するにつれそんなことを忘れがちになってしまいますが、私たちはそんな思いを受け成長してきたのです。
 自分が生まれるには両親という二人の存在が必要です。その両親はまた祖父母の存在があってこそこの世に生を享けることができます。当たり前のことですが、さかのぼっていくとその数はどんどん増えていきます。三十代前になると一億を超える数にもなります。言いかえれば今の私には、何千、何万、何億という方々の「なんとかしてあげたい」という思いが集約されているといっても過言ではないのです。
 各寺院では、回忌ごとに年忌を営むことをおすすめしています。年忌といえば僧侶がお経をお唱えし一同神妙にしているという堅苦しい様子を思い浮かべることでしょう。中には苦痛に感じる方もおられるかもしれません。しかし、年忌は御先祖のことを思い起こし、あなたのおかげで今の私があることに感謝をする場なのです。普段、御先祖のことを思い浮かべ生活することはなかなかできるものではありません。年忌を通して普段忘れがちな御先祖の恩に気付く機会を得ることができるのです。私たち僧侶は、年忌は先祖の供養をさせていただくだけでなく、同時に年忌を営む家の隆盛と繁盛につながると説きます。なぜならば、その家の人たちが感謝することを通して、自ら成長していく力を得るからなのです。

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