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目に見えない利益
バブル崩壊以後、日本は深刻な不況に喘いでいますが、この苦境にも関わらず業績を伸ばしているある会社があります。成功の秘訣は、仕入れ製造とも海外で行いコストを下げ、ライバル会社よりも圧倒的な安値で商品を販売することにあります。それも決して安物ではなく、そこそこの品を販売するのですから、日曜日には家族連れの買い物客でごったがえすのです。更に、年功序列を廃し、徹底した実力主義を採用し、社員同士の競争意識を引き出していることも見逃せません。昨日入社したものでも、実力があれば係長、課長になれるのなら、やる気にもなります。その会社の社長室には「泳げぬ者は沈め」と書かれているのだそうです。
私達の世界は、競争社会であり、他者に勝てばプラス、負ければマイナスの結果がはっきりと現れてきます。確かに、競争は生産性や能力を向上させる働きを持つのですが、問題なのは、時として競争に勝ち残るために手段を選ばなくなることです。他者よりも少しでも多くの利益をあげたいと願うあまり、相手を騙そうと、苦しめようともかまわないとさえ思うようにもなります。もちろん、個人であれ、会社であれ、利益を追求することは当然のことですが、しかし、利益を追求する時、忘れてはならない大事なことがあります。それは、利益には目に見える利益と見えない利益があるということです。
かつて辯天宗宗祖、智辯尊女さまのところに詐欺にあった方が相談にこられました。騙されたと嘆かれるその方に智辯尊女さまは、「人を騙すより騙される方がよいのですよ」とおっしゃったのでした。人を騙し何かを得たとします。確かに目に見える所では騙した方がプラスとなります。しかし、目に見えない所では、騙した人は大きなマイナスを生み出しているのことになるのです。
目に見えない利益、これを徳と呼びます。徳は入れ物のようなもので、この入れ物があってはじめて私達は目に見える利益を身につけることができるのです。だからこそ目に見える利益を求めるならば、まず徳の入れ物を作り上げねばならないのです。
それでは、徳はどのようにして生まれるのでしょうか。決して相手を騙したり苦しめたりすることから生まれるものではありません。むしろ、相手の喜び、幸せにつながる行いをすることから生まれてくるといわれています。そこで利益の求め方が問われるのです。いくら競争社会だといっても、ライバル会社を潰してしまい一人勝ちを目指す経営には疑問を感じます。もちろん、利益に目がくらみ客から騙し取っていてはその会社が永く続くはずもありません。徳というもの考えるとき、自分の利益と他者の利益が一致するような繁栄のしかたが求められるのです。
智辯尊女さまは「自分より他人を先に それがあなたを幸せにする道です」と説かれました。単なる目先に利益のみを考えると、これほど非常識なお言葉はないかもしれません。しかし、徳を基本に考えると、このお言葉は繁栄の為に揺るがせない常識となるのです。
毎年、各企業では決算報告をだしますが、その決算報告はあくまで目に見える利益の報告にすぎません。目先の繁栄でかまわないというなら別ですが、永続性のある繁栄を願うなら徳の決算にも気を遣うべきでしょう。業績はトップクラスの会社が、残念ながら徳のランクでは最低ということもありうるのです。
平成13年2月 妙音新聞掲載文より一部加筆修正