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徳の入れ物
アフリカという言葉からどのようなイメージを思い浮かべるでしょう。サバンナを疾走する野生動物、キリマンジャロの雄大な姿、そして、地平線に沈む夕日、、、。人それぞれ様々なイメージを持っておられることでしょう。しかし、いずれにせよ、開発の遅れた途上地域というのがその下地になっているのではないでしょうか。
かつて、一人の日本人青年がアフリカのある国に行き、ボランティア活動に従事されました。その国では、天候異変で飢饉が発生しており、多くの人々が飢えに苦しんでいました。ある村で救援物資の食料を配布していた時、遠くの村からやせ細った一人の少女が食べ物を求めてやって来ました。村に着いた時、もうその少女は自ら歩くこともできないぐらいに衰弱していたそうです。さっそく青年は、パンを少女に与えましたが、少女は食べようとしません。なぜ食べないのかと尋ねると、少女は、「私の村では弟と妹たちがお腹をすかせています。弟や妹にこのパンを持って帰りたい」と答えるのです。青年は、「あなたの生命があぶないのだから、まずあなたが食べなさい」、と諭したのですが、パンを手に握りしめるだけで、少女は決して食べようとしません。とうとう少女は、パンを握りしめたまま衰弱死してまったそうです。
日本は、昨今の不況にてかつての勢いがなくなったとはいえ、サミットの議長国をつとめることが可能な経済大国です。一家に一台以上の車、各部屋にエアコンがあるのもめずらしくありません。当然、飢えて死ぬような人はなく、むしろ日本では、どのように持てる物を捨てるのか、つまりゴミ処理が大きな課題となっているのです。
しかし、これほど物に恵まれている日本人が相手をいたわり、持てる物を他に与えようとするかというとそうではありません。もっと欲しいと物を求め、さらに欲しい物を手に入れるためには手段を選ばないのです。中学生が同級生を暴力で脅し五千万円を恐喝したとの事件が話題となりましたが、まさに今の日本人の心を象徴する出来事のように思えます。
私たちは、お金や物を他よりどれぐらい多く持っているのかにより、自身の幸せの大小を計ろうとします。しかし、このような私たちに宗祖さまは、お金や物よりも徳の大事さお説きになられるのです。なぜなら、徳は入れ物のようなものであり、入れ物がなくてはなにも入れることができないし、たとえ手に入れたとしても、結局なにも残らないからなのです。そして、宗祖さまは、低い心が徳を生み出すとお説きになられています。低い心とは、他を思いやり、他に感謝できる心です。決して自己の利益のみを考え、他から奪おうとする心ではありません。
世界の国々は、先進国と発展途上国とに分けることが可能です。その区分は、いかに人々が物質的に繁栄しているかが基準となっているようです。しかし、もし徳という物差しでそれぞれの国を評価し、宗祖さまの「徳の高い人ほど心は低い」というお言葉をそれぞれの国にあてはめるとどうなるでしょうか。 自分の生命を犠牲にしても、他者のことを思える人がいる国と、平気で同級生に暴行を加え、自身の欲望を満足させようとする人がいる国。徳の基準からみれば、私たちが途上国と呼ぶ国が先進国なのかもしれません。そして、悲しいことに、日本といえば、これはもう未開の国になってしまっているのかもしれないのです。
平成12年妙音新聞掲載文より