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最初の一歩
現在はグローバルな時代といわれ、もはや国の繁栄は一国では成り立たず、様々な国々と交流が必須となります。世界の国々と交流を深めようとするとき、世界共通語と言われている英語を話す力が問われます。ところが日本人の英語力はアジア諸国の中でも低く、その為に外交を始め様々な分野において機会の損失が生まれていると言われています。そのような状況に危機感をいだいた政府は、英語を学び始める年代を早める方針を打ち出しました。以前は子どもたちが初めて英語に接するのは中学生になってからでしたが、今では小学校でも英語の授業が取り入れられるようになってきました。また、自分の子どもが複数の言葉を話すことができる人、バイリンガルになって欲しいと望む親も多く、幼児の時から英語教室に通うことも珍しくありません。日本語の基礎ができていない年代の子どもに英語を教えるのは時期尚早で、英語よりもむしろ日本語をしっかりと教えるべきだという意見もあります。確かに傾聴に値する意見でしょう。英語教育のあり方については様々意見がありますが、英語を学ぶ必要性は今後ますます高まっていくことでしょう。
ちべん保育園では三歳児クラスから英語のレッスンが始まります。といっても歌を歌ったり、ゲームしたり、英語のレッスンというよりは先生と楽しく遊びながら英語に触れるという感じです。ある日、三歳児クラスの英語レッスンの様子を見学してみました。レッスンはまず出欠から始まります。日本だと、「○○さん」と先生が言えば、生徒は「はい」と返事をすることでしょう。それでは、英語のクラスで○○さんと呼ばれたらどのように答えるのでしょう。その日、先生は、名前を呼ばれたら「here(ヒアー)」と答えましょうと子どもたちに教えていました。「here」とは「ここ」という英語で、名前を呼ばれて「here」と返事をすると「私はここにいます」という意味になります。「here」というたった一言ですが、人前で、しかも英語で答えるとなると、大人でも緊張するものです。名前を呼ばれるとある子は元気いっぱい大きな声で、またある子は恥ずかしそうに小さな声で戸惑いながらも、「here」と答えることができました。
『一人の人間にとっては小さな一歩、 しかし人類にとっては偉大な飛躍』
これは月着陸をしたアームストロング船長の有名な言葉です。おおげさかもしれませんが、三歳児クラスの子どもたちにとっても、「here」と言えたことは、英語を学ぶ上でとても大きな飛躍だったのかもしれません。「here」と言った後、先生が拍手をし、good job!(よくできました)と言うと、子どもたちはとっても誇らしげな顔をしていました。
新しいことをしようとするとき、何かに挑戦しようとするとき、なかなか最初の一歩を踏み出せないことがあります。後で振り返り、あの一歩を踏み出すことができていたら・・・と後悔をすることがあるものです。 仏教の教えは複雑、難解で凡夫にはとても理解しがたいと思いがちですが、唐代の禅僧、鳥?道林(ちょうかどうりん)は、「諸悪莫作衆善奉行」(悪いことをせず良いことをすること)それが仏教だと説かれています。つまり、良いことをどんどんしていけばよいのです。善行といっても大げさなことではなく、例えば、電車の中で席を譲るのもりっぱな善行となります。ところがそのようなことでも、いざその場面になるとためらいが生まれてくるものです。
その人は席を譲って欲しくないのかもしれない。譲ったとしても、年寄り扱いをするなとかえって怒られるかもしれない。誰か他の人が譲ってくれるかもしれない。自分も疲れているのだから。そもそも気恥ずかしいじゃないか。様々な理由をつけて、なかなか一歩が踏み出せません。結局、寝たふりをしてしまった・・・。
『心海岸に達せんと欲(おも)わば、舟に棹(さお)ささんには如(し)かじ』
これはお大師さまが性霊集にてお説きになられたお言葉です。心海岸を進めるとは、悟りの世界に入ろうとすることです。その為には考え込んでじっとしているのではなく、ともかく前に進むこと、つまり船に棹をさして漕ぎ出す必要があります。当たり前のことですが、ともかく漕ぎ出さないといつまでたっても向こう岸には決して到着しません。
また、先般、九十九歳でご遷化された瀬戸内寂聴師は、ある日の法話で次のようにお話しをされました。
『誰にでも才能が眠っているけど気付かないだけ。生きることは、隠れた自分の才能に水をやり、肥料をやり、きれいな花を咲かせること。どんな小さなことでもいい。それができたら「ああ生きた」と思えるはず。』
水や肥料をやらないと花は育たないように、いくら素晴らしい才能を持っていようともその才能を活かす努力を怠ると、せっかくの才能も実を結ぶことはありません。何事も理屈はさておきともかくまず踏み出すことが大事なのでしょう。船を漕ぎ出す時、最初の一漕ぎが一番力がいるものです。でもいったん漕ぎ始めると、結構スイスイと進んで行くことができるものなんだと気づきます。
来年は寅年。「虎は千里行って千里帰る」と言われています。千里の道もまずその一歩から。失敗するかもしれない。恥をかくかもしれない。でも勇気を出して踏み出したその一歩が後々大きな成果をもたらすのかもしれません。「here」と言い、英語を学ぶ一歩を踏み出した保育園の子どもたち。将来、彼らが世界中の人たちと楽しそうに語り合う、そのような姿を見たいものです。
(令和3年師走 十輪寺通信26号より)