心の成長 

 ちべん保育園では、生後7ヶ月の子どもから受け入れています。7ヶ月の子どもといえば、まだ歩くことはできません。また、食べ物もミルクからようやく離乳食になっていくころです。ちょうど赤ちゃんから幼児に移行する時期なのです。とても小さな子どもたちですが、日に日にどんどん成長していく姿を見ることができる時期でもあります。ハイハイしていた子がいつの間にかつかまり立ちをしはじめて、しばらくして自分の足で立ち上がり歩き始めます。うーうー、あーあーと赤ちゃんの言葉(喃語)から、パパ、ママなど言葉の数が増えてきます。保育園の生活を通して子どもたちがすくすく成長していく様子を見ることができるのは、保育者にとってすばらしい体験となります。
 成長は身体的な発達だけではありません。子どもたちの心も身体とともに成長していきます。心の成長とはどのようなものなのでしょう。身長ならば身長計、体重ならば体重計を使えば成長の度合いを計ることができます。心の成長はどのようにして確認することができるのでしょう。児童心理学では様々な手法を使って子どもたちの心の成長の様子を解き明かします。そのうちの一つが「サリーとアンの課題」です。

 部屋の中で二人の女の子います。サリーはくまのぬいぐるみで遊んでいます。そのそばでアンがその様子を見ていたのでした。

 サリーはくまのぬいぐるみで遊ぶのをやめて、赤い色の箱を開けてその中にくまのぬいぐるみ入れます。
 そしてくまのぬいぐるみを入れた赤い箱のふたを閉めて、部屋を出ていきました。その様子を、アンは見ていたのです。
 

 部屋に残ったアンは、ぬいぐるみで遊びたかったのでしょう、赤い箱のふたを開け、中からぬいぐるみを取り出し、遊び始めました。遊んだ後、アンはぬいぐるみを赤い箱にもどさず、青い箱に入れて両方の箱のふたを閉めました。

 

しばらくして、サリーが部屋に帰ってきました。そして、またくまのぬいぐるみで遊ぼうとします。
さて、ここで質問です。サリーは赤い箱と青い箱のどちらを開けるでしょうか?
 正解は明らかで、サリーがいない間にぬいぐるみが青い箱に移されているので、そのことを知らないサリーは赤い箱を開けることでしょう。ところが2歳から3歳ぐらいの子どもたちは、実際にぬいぐるみが入っている青い箱と答えることが多いのです。なぜなのでしょう?この年代の子どもたちは、自分が中心の世界に住んでおり、まだ他者の立場にたって考えることはできないといわれています。遊びも他者と関わることをせず一人でおもちゃなどを使って遊ぶ「一人遊び」であることがほとんどです。他の子が同じ部屋にいてもいっしょにそのおもちゃを使って遊ぼうとはせず、お互いに関わることなく遊び続け、逆にいっしょに遊ばせようとするとおもちゃの取りあいとなりけんかとなってしまいます。このように、自分中心であり、他者の立場に立つことなく、あくまで自分の視点から物事を見ていくので、サリーがどちらの箱を開けるのかと問われた時、サリーが知らないはずの、ぬいぐるみが入っている青い箱と答えるのです。
 しかし、4歳ぐらいになると正解する子どもが増えてきます。サリーはその場にいなかったのだから、ぬいぐるみが移動したのを知らないはずだ。だから・・・と、相手の立場に立ち、相手の気持ちを考えることができるようになります。また、この頃になると一人遊びより仲間で遊ぶことを好むようになってきます。この年代の子どもがよくするごっこ遊びでは、複数の子が集まり、お父さんやお母さんなどの役割を演じ、互いに協力しながら遊びを進めていきます。ごっこ遊びや仲間遊びができるようになるには、相手の気持ちを推し量る力が大事になります。お母さんの気持ちになってみたり、いっしょに遊ぶお友だちがどうして欲しいのか、相手の立場にたち、相手の気持ちを分かる必要があります。よくうちの子は遊んでばかりという言葉を聞くことがありますが、遊びは子どもの成長にとってとても大切なものであり、成長のバロメーターでもあるのです。
 もちろん、心の成長を感じるのは遊びだけではありません。日常の様々な場面で子どもたちの心の成長を感じることもあります。ある日、子どもがころんで擦り傷ができました。そばにいた3歳児の女の子は、お友だちのけがの様子を見て、自分があたかもけがをしたかのように、痛そうな顔をし、ついには泣いてしまったのです。けがをした子が仲のよいお友だちだったということもあったのでしょうが、相手の痛み、悲しみを自分のもとして感じることができたからでしょう。
 1歳児、2歳児の頃は、まだまだ言葉が未発達なので、意思表示は言葉ではなく、泣いたり、笑ったりと態度で表すことが多いものです。時には、「嫌だ」と言う代わり、相手をたたいたり、かみついたりして自分の意思を表示することもあります。けんかをして相手をたたいた時、自分が嫌だから相手をたたいたのであって、そこに相手がどう思うかを考えることはありません。しかし、5歳児ぐらいになると、けんかの仲裁に入った保育者が、なぜけんかになったのか、たたかれた子はどう感じただろうかなど、けんかをした相手の気持ちはどうだろうかと聞くと答えられるようになってきます。そして、自分が嫌なことは相手も嫌なことなんだということが分かるようになってきます。
 このように、最初は自分中心であった子どもが、様々な体験を通して徐々に相手の気持ちを推し量ることができるようになっていきます。これは子どもの心のとても大切な成長の証になるのです。そして、そんな子どもたちの心の成長の様子を見ていると、人間は本来、相手の立場に立ち、相手のことを考えることができる力を生まれながら与えられているのだと強く感じます。
 残念ながら、大人になっていく過程でどうも心の退化が始まるのではないかと感じるのです。自分の利益を守るために相手の嫌がることを平気でするようになる。人を苦しめても、悲しめても自分が得をするならかまわない。そんな自分本位の心が優勢になってきます。ヨーロッパでは戦乱が続き、子どもたちを含めた多くの生命が失われています。原因は、安全保障の問題、歴史的な確執、領土拡大への野心など様々な議論されていますが、戦争を始める決断をするリーダーの、相手の気持ちを推し量る力の衰えが最大の要因ではないかとも思います。

 あの人が、もし、戦争により大切な人の命を奪われる人々の気持ち、住まいを奪われる人々の気持ち、平安な日常を奪われる人々の気持ちが分かるなら、戦争を始めようとは思わなかったかもしれない。一国のリーダになるには、野心を持ち、人を押しのけ、相手を思う気持ちを封印し、人の痛みに無頓着でなければならないと彼は主張することだろう。今一番必要なのは、戦車でもなく、ミサイルでもなく、友達の痛みが分かる3歳児女の子の心を思い出すことだと諭したとしても、「そんな心は遠い昔に捨てきった。今はもうないのだ」と言い切ることだろう。でも、その心は決して特別な心ではなく、だれでも、何歳になろうともすべての人が持っている心。もちろんあなたも、私も、そして、あの人も・・・。

前のページに戻る
ページ上部へ戻る
error: Content is protected !!